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ガイアナについて

首都・ジョージタウン誕生 今のガイアナの地には元々アラワク族とカリブ族とワラオ族が住んでおり、マニオクの栽培や、狩猟、漁労で生計を立てていたが、1498年にクリストファー・コロンブスが渡来し、1499年にはアロンソ・デ・オヘダとアメリゴ・ヴェスプッチが上陸した。
その後この地はエル・ドラード伝説が信じられると、スペイン人、ポルトガル人の手が及ばなかったこの地は「ワイルド・コースト」と呼ばれ、イギリス人の活動の場になり、ウォルター・ローリー卿の植民団が1595年、1616年とやってきたが、すぐに失敗した。 1598年にオランダ人が来航し、17世紀から18世紀にオランダが3つの植民地(エセキボ、デメララ、バービス)を設立した。ナポレオン戦争による変遷を経て、1814年からイギリスの植民地となり、オランダ三植民地は後に統合されイギリス領ガイアナとなり、オランダ人の町だったスタブルークは英王の名前からジョージタウンと改名されて英領ガイアナの首都になった。

奴隷制の廃止、ベネズエラとの国境紛争 1834年、奴隷制度廃止される。砂糖工場の労働力として、まず年季奉公人としてイングランド人、アイルランド人、マルタ人、ドイツ人、マデイラ諸島からのポルトガル人が導入されたが、やがてインド人が導入され、約34万人のインド・パキスタン系移民が1838年-1917年までに流入した。1899年に憲法を改正するとベネスエラと国境紛争が発生し、この時以来ベネスエラはグアジャナ・エセキバの159.500 km²の領土を要求している。

初の総選挙 1917年にイギリス政府によりインド人移民が禁止されたが、1928年にはイギリスの直轄植民地となり、女性参政権も認められた。また、稲作を行っていたインド系市民は都市に出て地位を向上し、1953年の初の総選挙でインド・パキスタン系のチェディ・ジェーガン率いる人民進歩党(PPP)が勝利。議会は後にイギリスが停止した。

国家によるインフラ統制 1957年にはアフリカ系のフォーブス・バーナムが人民民族会議(PNC)を結成し、1964年にはPNCが連立政権で指導勢力となった。その後バーナムはボーキサイトを国有化し、電気、通信、流通などのインフラも国家に統制されるようになった。

現在のガイアナ 1966年にイギリス連邦の一国として独立。
1970年に共和制に移行し、ガイアナ協同共和国と国名を変更したが、イギリス連邦に残った。
1973年にPNCが選挙で不正を働いたとしてボイコット。
1978年ガイアナの密林奥地にジョーンズタウンと名付け、移住していた、アメリカのキリスト教系の新宗教団体、人民寺院(People's Temple)による集団自殺事件が起こる。
教祖ジム・ジョーンズと彼の家族及び信者を含めた914人が集団自殺。
黒人勢力を代表する人民民族会議(PNC)とインド・パキスタン系の人民進歩党(PPP)との間で、人種的対立が続き、政情不安が続いている。

1980年には、大統領の権力の強化を盛り込んだ新憲法を発効するが、経済の悪化は収まらなかった。

1985年にPNCの代表者だったバーナムが死亡し、デスモンド・ホイテがPNCの代表となる。
1992年国際監視団のモニタリング下での総選挙で、人民進歩党党首チェディ・ジェーガンが大統領に就任。
1999年8月、ジャネット・ジェーガン大統領辞任に伴い、バラット・ジャグデオ蔵相が憲法上の規定により大統領に就任。
2001年3月、バラット・ジャグデオが大統領に再任。
2006年、バラット・ジャグデオが大統領に再任。

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